おとくやん(デ・プロベッチョ)

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世界一の大学通り桜並木を抜けると復活した国立駅三角屋根が

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ハロー、おもろいゴリラです

この写真で癒されましたか?

 

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今朝もおかげさまで目覚めました!ゴリラの神様にありがとう!

綺麗な桜並木でしょ?

原宿の表参道と思った?おっと、こっちがモア・ベターよ(表参道も好きだよ)

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コロナ騒動のため、東京都の自粛アナウンスがに出て、28日からの週末の殆どあらゆるイベント、宴会は中止、キャンセルとなった。その影響で上野のサクラ花見とは比較できないけど、例年なら この大学通り沿道の桜並木の下で市民や一ツ橋大学生らの花見会がお上品に展開されてるはずの3月最終土曜日だった。おもろいゴリラもこの日個人的に(個ゴリラ的に)、フットボールの公式戦、そのあと、花見やら市内のこじゃれたバルで飲み会 予定だった。ぎりぎりまで決行見込みだったけど、アナウンスがトドメとなり、結局 全て1日前に苦渋のキャンセル決断。

とはいえ、世界中の(大きくでたな)国立大学通りファンや出身者のために、この見事な桜並木を撮影しないわけには行かず 単独お散歩決行。

 

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立川ー川崎を結ぶ南武線のヤッホー駅(谷保)と 中央線の国立駅を結ぶ 2キロの大学通りを歩く。上の写真の左側にそびえる 厳しい住宅条件の国立市内では珍しいお化けマンション(と呼ぶ人もいた。素敵なマンションなんだけど、この地にあっては特殊な事情で)、昔からこの町に住み、大学通りの景観を愛する市民にはあり得ないはずのマンションだった。

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国立マンション訴訟 - Wikipedia

ja.wikipedia.org › wiki › 国立マンション訴訟
国立マンション訴訟(くにたちマンションそしょう)は、東京都国立市で高層マンション建設を巡って複数回争われた一連の裁判である。 狭義では、反対住民が事業者に対して行った建築物撤去請求訴訟(民事訴訟)を指し、1審判決(2002年12月)は、原告側の主張を認め、竣工済みの高層マンションの20m以上の部分について撤去を命じた。しかし、その後の高裁判決・・・
 
などと 国立マンション事件 やら 紛争の名前で知られる(ここではここまで。
詳細見たい方は ググっていくらでも情報でてくる)
 
という微妙な存在の このマンションも 今では この景観の中に(それなりに)一部として埋もれることになった(市民全員が受け入れているかは 不明。 マンションそのものは素敵なんだけど、国立に存在することがね・・・・・・)
 
このまま歩いていくと
名門 都立国立高校、私立桐朋学園(男子)を超え
両側に 一橋大学キャンパスが
 
 
 

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有名な兼松講堂。ゴダイゴのコンサート行ったなぁ(古いね)

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 レトロ感たっぷりの歴史的建物の中に 教室や素晴らしい図書館などが。三田の大学に通っていたおもろいゴリラは 三田が遠いので あまり行かず、この空間で遊んでいた大学時代。そりゃ、留年するわな。
 
谷保駅からだらだら歩くこと30分(寄り道しなければ 15分)、復活した歴史的シンボル 国立駅三角屋根が見えてきましたな
 

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この三角屋根には それはそれは面白いワクワクするこだわりの歴史、そしてJRの都合で廃され、復活するまでの新たな愛のヒストリーがね。まさに この小さいけど ビッグなハートの町の歴史が詰まっているのです
 

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 国立市の公式HPから抜粋して 少しだけ 歴史を覗いてみると

「くにたちの歴史」を紹介します

(写真)「くにたちの歴史」を紹介します

写真提供:3、5から9はくにたち郷土文化館、ほか市役所(寄贈写真含む)

 

その昔、南部に位置する谷保は、水田に適した土壌により稲作や農業が盛んで、甲州街道を中心に民家が立ち並んでいました。本来谷保の「谷」は「ヤツ」で、湿地帯を意味し、この地域が水田に適した土地条件を持っていたと考えられます。明治22年(1889年)に、谷保村・青柳村・石田村飛地の3村が合併し、国立市の前身の「谷保村」となりました。

大正時代末期、谷保村は甲州街道沿いに数百戸の農家が点在するだけでしたが、箱根土地株式会社によって山林であった北部の開発が進みました。「理想の文教都市」を目指し、大正15年(1926年)に、東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)の移転、国立駅の開業、そして昭和2年(1927年)に、東京商科大学(現・一橋大学)の移転といった変遷をたどってきました。また、昭和9年(1934年)には、同8年の皇太子(上皇陛下)誕生を記念し、大学通りに桜の植樹が行われました。

その後、人口はうなぎのぼりに増え、昭和26年(1951年)に谷保村から国立町になりました。そのころ、国立の教育環境を守るため、市民や学生を中心に、「文教地区指定運動」が起こり、昭和27年(1952年)に文教地区の指定を受けました。
そして、昭和40年(1965年)には、8千人規模の入居があった富士見台団地の完成に伴い、人口が一躍5万人を突破して、昭和42年(1967年)「国立市」が誕生しました。

昭和時代の国立は、旭通り沿いに市内唯一の映画館「国立スカラ座(昭和61年閉館)があり、毎日1千人を超す映画ファンで賑わっていました。また、同55年(1980年)には、国立高校が、都立高校で初めて甲子園に出場し、市内は、「国高フィーバー」で一色になりました。

国立の名前の由来は…

国立という名は、大正時代の末期、箱根土地株式会社によって谷保村の北部の山林が開発された際、まちの名前を選ぶときに出てきました。当時の中央線は国分寺の次が立川で、ちょうどその真中に当たる場所に駅をつくることになっていたため、両方の頭文字を取って「国立」にしようという声が上がりました。この案は「この地から新しい国が立つ」という願いとも相まって受け入れられたようです。

国立のこれまでの歩みについて紹介しています。詳しくは、下記リンク「くにたちのあゆみ」へ。

くにたちのあゆみ

歴史・文化財

 

 

「赤い三角屋根」誕生 ー国立大学町開拓の景色ー

開催日
2020年4月4日(土) ~5月24日(日)9:00~17:00(入館は16:30まで)
会場
くにたち郷土文化館 特別展示室(国立市谷保6231)

国立駅舎再築完成記念

国立駅南口にもどってきた「赤い三角屋根」の旧国立駅舎は、4月4日(土)にオープンします。この旧駅舎は、平成18(2006)年の解体後に保管されていた部材を再利用したもので、大正15(1926)年に開業した当時の姿へと復して再築がなされました。
国立駅が開業した大正15年4月1日。この日は国立大学町の第1回分譲がスタートした日でもあります。まちの成立ともかかわっている旧国立駅舎を、国立大学町が開発された当時の資料から探ってみます・・・・・・

 

てなことで 桜と三角屋根を味わってくれたなら それで嬉しい

 

ではまたね

 

CIAO

 

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